北山早苗・議員活動

今日の私の行動記録です
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2008,4/15〜4/20
4/15
議会運営員会がありました。私はオブザーバ出席しかできません。

4/16
3月21日の活動報告に書いた、昔、松本に運ばれてきた砥石を露天掘りしていた、群馬県南牧村の砥沢に行ってきました。砥沢には母親の実家があります。昭和の初めぐらいまで砥石を採っていたそうで、おじさんがよく知っていて案内してくれました。江戸時代に露天掘りしていたところはすっかり砥石を採り尽くしてしまい、明治以降は坑道を掘って採っていたとのこと。おじさんの話によると、砥石を掘っていた人たちが暮らしていた日陰集落は、男の人は30代、40代で若くして死んでしまい、長生きしても50歳、反対に、砥石をかついで運ぶ仕事をしていた女性たちは元気で長生き、お年寄りは全て女性という集落だったそうです。早死にの原因は塵肺、昔は防塵マスクも何もつけずに掘っていたためです。
砥沢1
江戸時代に露天掘りしていた跡

昭和初期に砥石の路頭が発見されて、そこから採れた砥石を昭和天皇に寄贈することになり、採掘していた人たちや村の関係者で記念撮影をした写真が、南牧村史に載っていました。そこには、昭和初期から戦争中まで4期旧尾沢村の村長をやっていたという、私のひいおじいさんが映っていました。その路頭にも行ってみました。
山を越して藤岡市につながっているという林道の途中にありますが、昨年の南牧村や長野県の佐久地方がみまわれた豪雨災害で、林道はあちこちで崩れたりしていて、復旧工事中、砥石採掘の路頭の数百m手前で道が塞がり、車を降りて歩いて行きました。
路頭は、戦後、天然の砥石を使わなくなってから採掘が終わり、その後、現場は林道への崩れを防ぐために砂防工事がしてありました。でも付近には砥石のかけらや、質の良くない石が捨てられていて、とてもきれいな縞模様の石や、コンクリートでこすって形を整えれば砥石として使えそうな石がごろごろ転がっていました。記念に手に持てるだけ拾ってきました。
砥沢2
昭和初期に発見され、露天掘りした跡
砥沢2
捨てられていた砥石のかけら

帰りは、以前あおぞらで行った群馬県と長野県の県境の地域、馬坂(佐久市田口)を通ってきました。以前お話を聞いた人の家に寄ってみました。お茶を入れてくださったので、いただきながら、その後のお話を聞きました。以前は、11世帯で最も若い人が69歳の高齢集落でしたが、今は、8世帯で最も若い人が72歳、、、超高齢集落となってしまいました。その一番若い奥さんは、足を骨折してしまい手術されたそうですが、かかった病院は、私の実家のある群馬県富岡市にある病院。車で1時間半ほどかかりますが、富岡の病院の方が、佐久総合病院よりまだ行きやすいということでしょうか。
馬坂集落はあと何年存続しているのでしょうか?寂しい気がします。

4/17
中部縦貫自動車道検討会議の定例会に出ました。いつものように、国の高速道路計画のデタラメさについての話でしたが、今回は、週刊ダイヤモンドの『ガソリン税の道路特定財源について』の特集記事を、皆で読んだりして意見交換しました。また、新しく来てくれた人もいて、車社会からどう脱却するか、提案をまとめようなど、今後の活動についてなど話し合いました。

4/18
県議会建設委員かの初委員会がありました。予想通り、後戻りの象徴の旧土木部相手の、や〜れやれの委員会です。浅川ダムの穴が大きくなったことなど、詳しくは早苗日記で。

4/19
川田龍平さんの国政報告会が松本市浅間温泉会館の会議室でありました。川田さんは、薬害エイズだけでなく、薬害肝炎や、ゴミなどの環境問題で頑張ってくれています。
川田さん

4/20
浅川公民館で、浅川沿いの小中学校にこどもたちが通う父母たちが開いた、ダム予定地の地質についての学習会があり、参加しました。詳しくは、早苗日記で。
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